「走り屋@次世代フリーター」って、結局何者?
このブログを始めてはや10ヶ月。
今更だけど自己紹介的なものをしてみようと思いました!
- プロフィール
- 「クルマ」との出会い
- 人生最初の挫折。
- 「車か会社か選べ」
- 「T社長」との縁
- メカになれた!けど…挫折再び。
- 「環境が変われば・・・」??
- ドロップアウトした後、行く先は・・・
- そしてフリーターへ
プロフィール
1993年生まれ
東京都日野市出身
愛車のシルビアでドリフトをするのが何よりの楽しみなドリフトバカです笑
時間もお金も、そのほとんどを車関係に費やしてます!
シンガポール日本人中学校
↓
東京工業大学附属科学技術高等学校
↓
埼玉自動車大学校
というちょっと変わった?学歴をもってます。
ラノベマンガが好きでオタク気質もあり。
工業高校に通ってたこともあり、パソコンやネットはそこそこ触れるタイプ。
ファッションセンスが壊滅的なのが最近の悩みです笑
「クルマ」との出会い
そんな走り屋のスタートは、多分小学生の頃に遡ります。
当時やっていた木村拓哉主演のドラマ、「エンジン」。
主人公はフォーミュラーカーを駆るレーシングドライバーで、それがたまらなくカッコよかった。
「自分もレーサーになりたい」
そう思って、当時最新のレースゲームのグランツーリスモ4を買いました。
ゲーム禁止の家だったけど、あの手この手で親を説得して、その年のクリスマスにPS2と一緒に買ったのを今でも覚えています。
リアルな挙動がウリで、難しいゲームでしたが、瞬く間にどハマりしました笑
R32のGT-Rを全年式、全グレード集めて
「やっぱVspecⅡは速いな…」
とかやってみたり、
「スーパーライセンスオールゴールドとる!」
とか言って、毎日ひたすらザウバーC9でニュルを走りこんだり。
「ミッションレースも全部ゴールドだ!」
って行ってSLRマクラーレンでもひたすらニュルを走り込んだり。
ライセンスといい、ミッションレースといい、24時間レース(ほんとに24時間プレイする)といい、鬼畜ゲームでしたね笑
だからこそドハマリしたのかもしれませんが!
そんな感じでクルマ好きの道歩み始め、どうやったらレーサーになれるかを日々考えていました。
人生最初の挫折。
中学生なりに色々調べてみたところ、
「高校のカリキュラムをやりながらライセンスが取れる養成学校がある」
ということを知りました。
(当時。今はもうなくなってしまったようです・・・)
「そこに通えばレーサーになれるかもしれない!!」
「どうしてもそこに進学したい!!」
と、必死で親に懇願したものの。
「今までなんのために塾に通ってきたんだ」
「今の成績でもっといいところに行ける」
「将来の選択肢を狭めてどうする」
「失敗したらその先の人生どうするつもりなんだ」
「レーシングドライバーなんてなれるわけがない」
などなど。
親だけでなく、近所の親戚からも
「一般的な正論」
を叩きつけられました。
当時の自分は、その正論に立ち向かう事はできず。
「レーサーになる」という夢を諦め、少しでも車に関わりたいと思って「整備士」へと進路を変えました。
工業高校という選択すら反対していた親でしたが、一応工業高校の中ではトップクラスの進学率の高校ということで納得してもらい、国立の工業高校へ進学。
専門学校へ進学するときは、もう年も年だったので自分で勝手に進路を決めて進学先を決めてしまいました笑
そうして専門学校を卒業して、晴れて某ディーラーの「整備士」として社会人になりました。
今にして思えば、レーサーになるという夢も
「周りに反対された程度で諦めてしまう程度の熱意だった」
と思えなくもないですが、苦い挫折の思い出には違いありません・・・笑
「車か会社か選べ」
第二志望とはいえ、なりたかった整備士になって万事順調!!
とも行かず・・・笑
社会人になってからも、そう簡単に人生はうまくいきませんでした。
当時乗っていた1台目のシルビアは、学生の頃に友達の紹介で購入しました。
真っ白なS14シルビアの後期。
未だに一番思い入れのある車です。
もちろんドリフトできるようにはしてました笑
とはいえその頃まだまだ初心者。
見た目はほとんどノーマルです。
就職してからも、通勤には使わず休みの日に乗っていました。
ドライブに行ったりサーキットに行ったり。
初めての「自分の車」を満喫してました笑
が、自分がシルビアに乗っていることをどこからか聞きつけた工場長と現場のリーダー。
そして自分にお呼び出しがかかりました。
「シルビアに乗ってるらしいな。一度会社に持ってきて。」
要は乗ってる車が違法改造とかされてないか?ということを確認するってことです。
そのまま持っていったらやっぱりマズイ、って部分はありました。
なので、車検にちゃんと通るような状態にして持っていきました(^_^;)
しかし。
「どうせ普段はもっとはみ出たホイール履いてるんだろ」
「緩みどめの割りピンが入っていない」
「純正で付いてるはずのアンダーカバーがない」
「アライメントがおかしい」
などなど・・・
相当細かく見られて、「ディーラーメカが乗っていい車ではない」との烙印を押されました。
そして迫られた選択が、
「シルビアを降りるか会社を辞めるか選べ」
でした。
入社後、わずか4ヶ月。
まさかそんな早い段階で「転職」を考えるハメになるとは、全く考えていませんでした。
「車」か「会社」か。
「自分の本心」か「世間体・常識」か。
悩んでいた自分に、声をかけてくれた人がいました。
「T社長」との縁
シルビアの元オーナーは埼玉の人で、自分の地元からは下道だと片道2時間かかる場所に住んでいる人でした。
「自分で全部できないうちは、近所の詳しい店と仲良くなっておくといい」
と言われ、見つけたのが八王子のチューニングショップでした。
初めて顔を出したその日、車の話をした最後に、
「ここってアルバイトって雇ってませんか?」
と出来心で聞いてみました。
訝しげな顔をしたショップのスタッフ(のちに工場長だったことを知りました笑)に、
「とりあえず社長に聞いてみたら?」
と言われたのが、T社長との出会いでした。
当時はまだ専門学生で、車の部品の名前は知っていてもオイル交換すらままならない状態。
それでも雑用として雇ってくれて、いろいろ教えてもらえたのは本当にいい経験だったなと、今でも感謝してます。
専門学校を卒業し、ディーラーに就職し、入ったそばから揉めて悩んでいる自分を見て、T社長は
「うちで働いたら?」
と声をかけてくれました。
とにかくシルビアを降りたくなかったし、ドリフトもやりたかった自分は、二つ返事でそのショップで働くことを決めました笑
※画像は拾い物です
こうして転職人生がスタートしました笑
メカになれた!けど…挫折再び。
そこから約1年、メカニックとしてそのショップで働きました。
12ヶ月点検すらまともにできないヘナチョコの自分を、突き放すことなく面倒を見てくれた社長、工場長、店長。
まぁなかなかにスパルタンではありましたが、それもきっと愛の鞭だったに違いないでしょう笑
しかし・・・
- 何をしてもミスばかり
- 繰り返し言われたことも忘れてしまう
- 予定通りに行動できない
全然仕事がこなせるようになりませんでした・・・
「そんなの新人のうちはみんなあるよ」
と思うかもしれませんが、リアルでの知り合いならきっと分かると思います笑
マジで我ながら度を超えてます笑
のちに診断されることになりますが、自分にはADHD(注意欠如多動性障害)の気があるらしく。
メカとしてまともに働けない自分に落ち込みまくってました。
それを見かねた社長は
「一度保険の営業をやってみたらどうだ」
と、違う道を提案してくれました。
「環境が変われば・・・」??
当時、とにかく「できない自分」、「できない仕事」から逃げたくて、その提案にすぐに乗りました。
そして出向という形で、2回めの転職をすることに。
人付き合いが苦手で、営業なんて絶対にやりたくないと思っていた自分。
でもそれ以上に「今いる環境」から逃げ出したくてしょうがなかった。
そうして始めた保険の営業マン。
自動車保険はもちろん、火災保険、生命保険、企業保険なども取り扱っていました。
覚えることもたくさんあり、飛び込み営業する事もあり。
思っていた通り大変でキツイ仕事でしたが、
「人と会って話をして営業をする」
という事自体は、思っていたより楽しい仕事でした。
とても良くしてくれるお客さんもいれば、控えめに言っても態度が悪いお客さんもいて。
色々な人と会う中で、自分の「人間関係」に対する考え方も変わっていきました。
しかし、良いお客さんもいるからといって、営業につきものの
「ノルマ」
という壁は立ちはだかります。
3ヶ月ごとにだんだん上がっていくハードルを越えられなくなったのは、保険の営業を始めてから1年とすこしが経った頃でした。
「環境が変われば人生が変わる」
そんな甘すぎる考えが、完全に打ち崩された瞬間でした。
ドロップアウトした後、行く先は・・・
「営業やってもダメだった・・・自分には何ができるんだ・・・」
そんな自己否定感満載の自分を、それでもまだ雇ってくれるところがありました。
出向元の、T社長のチューニングショップ。
またそこに出戻りのような形になりました。
平日は車や保険の販売で営業回り。
土日は工場に入って整備。
言われるがままに働き続けました。
しかし、やってることは結局
「整備」と「営業」で。
どちらも失敗した自分が、またその二つをやったところでうまく行く事もなく。
相変わらず減らない作業ミス。
入っていたアポイントを忘れて遅刻してしまう。
お金の計算を間違えて会社の経理処理が大変なことになる。
出戻って1年、迷惑ばかりかけたまま、お世話になったチューニングショップを退職しました。
そしてフリーターへ
「自分で自分を変えていくしかない」
でも、二十数年生きてきた「自分」をどうやって変えたら良いかなんて、見当もつきませんでした。
ただ、とりあえず生きていくためには最低限のお金が必要だったので、アルバイトを始めました。
アマゾンの倉庫で、毎日11時間。
勤務時間は長いけど休みは週に3日休める仕事でした。
その休みを使って、いろんな人に会いに行きました。
このご時世、SNSをひらけばいろんな人と知り合えます。
成功してそうな人。
稼いでそうな人。
楽しそうな人。
幸せそうな人。
興味が湧いた人にはどんどん会いにいきました。
色々な人に会う中で、
「価値観」
「人生観」
「金銭感覚」
が変わっていきました。
「いろんな人に会う」という第一歩の行動を起こすことで、すこしずつ変わってきた人生の風向き。
「これなら自分でもできそう」
「こうしたら誰かの役に立てるんじゃないか」
「もっといろんな人と知り合いたい」
自分の中にポジティブな感情が生まれ始めました。
そこから早1年。
いまでもフリーターとしてアルバイトをしながら、沢山の人に会い、協力してもらいながら、
「車好きが集まるガレージハウスを作る」
という夢に向かって一歩ずつ前に進んでいます。
自分はこんな感じで今に至っています笑
いやー・・・
なんだか転落人生みたいな記事になってしまいました・・・笑
でもそんな悪いことばっかりだったわけでもないんですよね。
- 車の整備や知識を身に付けることができた。
- 営業のスキルも身につけることができた。
- 保険や整備などの資格は一通り取得できた。
- 営業をする中でたくさんの人脈ができた。
得たものは沢山ありました。
そしてその得たものを使って、自分にできることをやっていこうと決意してフリーターの道を選びました。
今ではその選択はやっぱり間違ってなかったと思ってます。
その決意ができた自分を褒めてあげたいくらいです笑。
気がついたらかなり長い文章になってしまいました汗
ここまでお付き合いいただいた方は、本当にありがとうございます!
次の記事は、今自分が何をやっているかなどを書いていきたいと思います!!
「自分もやりたいことがあるけど、何をしたら良いかわからない」
「そもそもやりたい事とか夢とかなくて、どうしたら良いかわからない」
神様じゃないので「答え」は出せませんが、一緒に考えることはできます!
意外と誰かに話す中で、道が見えてきたりしますよ(^^)