大人よ、夢見ろ、夢。
「課題の分離」を考えてるときに思ったこと。
親や年長者が子供や若者に伝えるべきこと。
自分が子供として、若者として「伝えてほしかったなぁ」と思うもの。
結論から言うと、やっぱり「夢と希望を見せること」だと思うんだ。
自分が周りを見ても、希望を持って夢に向かってる人は生き生きしてるし、見てるこっちも元気がもらえてモチベーションも上がる。
「あぁ、こんな人になりたい、自分も頑張ろう」
ってポジティブな気持ちが生まれる。
実際、それで頑張っていったその先で、現実を突きつけられて、失敗を重ねて、つらい思いを沢山したとしても。
「あのときあんな夢見なきゃよかった」
って後悔するかもしれなくても。
その「失敗」とか「後悔」だって、夢を見たからこそ経験できて学べたこと。
その経験って、めっちゃ大事だと思うんですよ。
特に親なら、
「失敗させたくない、後悔させたくない、つらい思いをさせたくない」
っていう気持ちも、多少は分かるけれど。
でも、その失敗も後悔も、親である人のものじゃなく、その子供の大事な経験値のはず。
その経験値を得る機会を、他ならぬ親が奪ってしまうのはなんか違うんじゃないかと。
無理に失敗や後悔をさせる必要ももちろんないけど、本人の意志を尊重することが一番大事だと思う。
その上で、失敗したり公開したり、本人の意志が折れそうなときに
「失敗したときにどうしたらいいか」
「次に後悔しないためにどうするべきか」
「自分の意志とどう向き合うか」
それを一緒に考えてあげたらいいんじゃないかなぁ。
現実を突きつけるより、希望を見せてほしかった。
もっと夢に向かって没頭したかったし、全力で頑張った上で挫折したかった。
ここからは自分の経験談。
自分の場合は昔「F1レーサーになりたい」と思ってた。
中学生くらいの頃かな。
自分なりに調べて、ドライバー養成課程みたいなカリキュラムのある高校も見つけた。
結構古い考えの親というか「進学校行っていい大学行って選択肢を広げて・・・」なんて考えの家だったから、そこに行きたいって考えはもちろん否定された。
「その年から初めてレーサーなんてなれるわけがない」
「才能のある一握りの人だけが、プロになって飯が食えるようになる」
「もしそれに失敗したら?まともに就職できるのか?」
そりゃぁねぇ・・・ 普通そう思うだろうけども笑
今でこそ笑えるけど、当時は言い返せるほどの知識も根拠もなくて、ただひたすらに悔しかった。
納得できないままに、運転するほうじゃなくて整備する方に進路を変えたけど。
「車自体が好きだし、整備でもいい」
って自分に言い聞かせながら。
でも、多分この先一生、
「あそこでレースを諦めてなければ」
「本気で頑張ってればもしかしたら」
って思いはどこかに残る。
やる前に諦めたから「可能性」を考えてしまう。
だったらやれるだけやって、「もう無理だ」ってとこまで行ってから諦めたほうがいい。
まぁぶっちゃけ、親の言うことを聞くことを選んだのも自分だし、勘当されてでも、学費自分で払ってでもそっちに行く!って決断をできなかったのも自分だし、そういう意味では「F1レーサーになりたい!」って気持ちもその程度だった、っても今は思える。
だから、今はこの「心残り」を死ぬまで抱えて生きてくつもり。
こんなものいくつも抱えられないから、追加で抱えるものが増えないように。
経験談終わり!笑
じゃぁ自分はどうするか? 夢を見せる側になりたい。
「車って超楽しいんだぜ!」
「走るのも楽しい!」
「いじるのも楽しい!」
「車好きの仲間で集まればめっちゃ楽しい!」
「やろうと思えばなんだってできるんだぜ!」
って、周りに胸張って言えるようになりたい。
「納得しないままに諦めてしまう」人が少しでも減るように。
誰になんて言われても、正直関係ない。
だって自分のやりたいことだから笑
人生はすべて自分の選択。
自分のために、自分の夢のために生きるこの姿勢が、誰かの夢と希望の糧になれば。