「紹介」の難しさ
ちょっと前にあった話。
「紹介すること」
「人と人とを繋ぐこと」
それがいかに難しいことか。
親戚が、引っ越しして一人暮らしをする、ということでスクーターを探していたときのこと。
あてがない、とのことだったので、自分は信頼するバイク屋のAさんをその親戚に紹介した。
自分はバイクに関してAさんを信頼してるし、だからこそ自分のバイクのことはAさんにまかせている。
また今までの仕事での付き合いも会ったから、それも含めて「自分がAさんを信頼している」から紹介した。
親戚は「紹介されたからAさんを信頼して」、初めて来店したその日に中古のスクーターを買ったらしい。
初めての店で買うつもりはなかったけど、「会ってみて良い人だと思ったから買った」と。
ところが購入直後にリアタイヤがパンク。
「普通に考えてありえない」
「元からパンクしてたのではないか」
親戚はそのことでバイク屋のAさんを全く信頼できなくなったらしい。
そこで自分は、
「それはあなたとAさんの信頼関係の問題だから、しっかりと自分の意見を伝えたほうが良い」
「その対応次第で、その後の付き合いを考えればいい、紹介されたからって無理にAさんの店を使わなくてもいい」
と伝えたけど・・・
「あの人を付き合うのは考えたほうが良い、気をつけろ」
「『そっちの信頼関係の話だから』なんて、紹介しておいて無責任すぎる」
と。
まずそもそも、Aさんと付き合うかどうか、Aさんを信頼するかどうかは自分自身で考えるし、判断する。
自分も人間だし、まだまだ未熟だし、信頼している人間を悪く言われていい気分はしない。かなりイラッとした。
それに「紹介者に責任を問う」っていう事も、おかしいように思う。
「頼むからAさんの店で買ってくれ」とお願いしたわけではない。
紹介した店を使うかどうかの選択権は、紹介された人にある。
「せっかく紹介してくれたから」
「紹介されたのに使わないなんて失礼」
そういう人もいるかも知れないけど、そう思うことすらその人の選択だと思う。
自分がどうしてもその店を使ってほしかったら、パンクした件に関して事情を確認したり説明したり、それなりに動いたと思う。
でも別に報酬をもらってるわけでもなく、自分が整備したバイクなわけでもなく、実際いつパンクしたのか知る由もない立場としては、極端に言えば「部外者」になる。
「店選び」は車やバイクを持つ人にとって、とても大事なことだと思う。
だからこそ、紹介はしたものの「部外者」の自分がその後の「お店」と「お客さん」の間に入り続けることは、店にも客にも良くない。
だって常に自分が間に入れるわけでもない。
店側の作業を全部把握してるわけでもないし、客側の要望を全部把握してるわけでもない。
「お客さん」が直接見て、聞いて、話して、その「お店」を信頼できるかどうか、自分で判断する。
「お店」が直接対応して、その「お客さん」が自分の店とってサービスを提供するべき客かどうかを判断する。
「このお客さんに、是非うちの店を使ってもらいたい」と思えば、店側がそれ相応の対応をする。
「このお店なら、今後も使っていきたい」と思えば、客側も相応の対価を支払う。
そうやって店と客との関係性が、信頼関係が出来ていくと思っている。
その考え方は、
「人として違う」
「私(親戚)にもAさんにも冷たすぎる」
と思われたらしい。
自分はその二人の信頼関係に関与できない。
その二人の信頼関係は、その二人でしか築けないし、「自分がAさんを信頼する」ことと「親戚がAさんを信頼すること」は全く別の事柄。
その親戚はどういう対応を自分に望んでいたのか??
「自分が紹介したんだから、Aさんと親戚をなんとか取り持つように動く」べきだったのか?
親戚はAさんをどこか疑いながら、でも紹介を理由にバイクを預ける。
Aさんだって客からどう思われるかなんて薄々わかるだろうけど、お客さんだからバイクを預かって整備をする。
お互いそんな気分でずっと付き合い続けるのか?
自分が「紹介」したから?
そんなのはまっぴらごめんだ。
だからその親戚には二度と「紹介」しないことを決めた。
その親戚が要求する「紹介」を、自分は出来ないから。
この一件で、「紹介」という言葉の意味が人によって違うことを、はっきり認識することが出来た。
紹介するときの伝え方。
言葉の一つ一つ。
紹介する側の考え方、紹介される側の考え方。
それを熟慮した上で紹介しないと、誰も幸せにならないし、逆にメンツを潰すことにもなる。
でも、人同士が繋がることは多くのエネルギーを生むこともある。
新しい何かが生まれることもある。
新しい発見もある。
可能性がある。
だから、これからはもっと上手に「紹介」できるようになっていこうと思いました(´-`)